財布を拾って・・・。

こんにちは、居宅介護支援事業所の岩城です。
先日、1週間に2回財布を拾うという経験をしました。
1回目は大阪環状線の中で座った座席の端に婦人物の立派な財布が。
現金は数千円ほどでしたがカード類がビッシリ詰まっていて自宅の鍵らしきものも入っています。落とした人はさぞ困っているだろうと思い乗り換えの新今宮で駅事務所に届けました。対応した若い駅員は「あっそうですか。」とひと言。いつどこでだれがどんな状況で拾ったのか尋ねることもなく受け取るだけで、本当に落とした人のもとに届くのか不安になりました。

別に謝礼がほしいのではありませんよ。ただ、もしも私が逆の立場だったら拾った財布を届けてくれた人にひと言お礼を言いたいと思うのです。
2回目はバイクで堺市内を走っていた時に路上で小銭入れを拾いました。入っていた診察券から80代の男性のものとわかりましたが連絡先が見当たらなかったので診察券のクリニックに連絡してあげてくださいと届けました。受付の人は「ご親切に、どうも」とひと言。やはりいつどこでだれが拾ったか聞かれません。
無縁社会と言われるようになって久しくなりますが個人情報の使用に過敏になるとともに世知辛い世の中になったように思います。
今度財布を拾ったら、ネコババしよう!とは思わずに交番に届けようと思います。

今回は財布に因んで柴田トヨさんの「がまぐち」という詩を紹介します。

毎年、お正月が来ると思い出すの

当時 小学生だった倅(せがれ)が納豆売りをして

買ってくれた大きな がまぐち

母ちゃんへ お年玉だよって 私に贈ってくれたの

かじかんだ小さな手、吐く息の白さ、弾けるような笑顔

私は忘れない がまぐちは 今でも私の宝物

お金は貯まらなかったけれど

やさしさは 今でも たくさん入っている